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2018-11

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ヒマラヤ・キングダム

昔、ヒマラヤ・キングダムの名に憧れ、そこに夢を抱いた。
ブータン、シッキム、そしてネパール王国。
それにヒンズークシのあるアフガニスタン。
もう一つ、カシミールも藩主がいて王国的であった。

だが、シッキムは1975年にインドに併合されてしまった。
アフガニスタンは国王がヨーロッパに滞在中、ちょっとうろ覚えであるが叔父だか甥に追放され、そのごたごたから始まって1973年共和制となりキングダムではなくなった。
その後の国の混乱は皆さんご承知の通りである。ソ連侵攻は‘79年である。

カシミールは、英国がインドから引き上げる際、藩主の意向だけでインド領としたため、いまだにパキスタンとの紛争が絶えない。
「立つ鳥跡を濁さず」の喩でいえば、英国は跡を濁したといわざるを得ない。
特に中東から南アジアにける国や地域の今に続く混乱を思うとその観は否めない。

ネパールは、3年前にネパール民主連邦共和国という欲張った名前になってしまった。
ブータンは国王自身が民主化宣言を行い、自身は政治から一歩退いたかたちをとっている。
しかしこの国の外交権はインドにある。
かつて英国の保護国であったときのものをそのままインドが引き継いだというわけである。
インドは、われわれの言うことを聞いていれば面倒は見ようということらしい。
インドもまたこの地域の覇権国家である。

ヒマラヤの北側も、つい半世紀前までは未知な異文化、そして地理的にも未知なものがあるように思えて私は大きく心惹かれていた。
だが52年前、中国はチベットを併合した。そして西域を見ると、そこには従属を強いられた民族の悲劇がある。
10年ほど前、タクラマカンを旅行した際、オアシスの町クチェで漢人の警察所長が殺されるという事件に出っくわした。
数年前にも、そのもう少し西で暴動があった。
つい最近、チベット人の青年僧が「チベットに自由を」といって焼身自殺した。

ヒマラヤ・キングダムという言葉が死語になってしまったのは残念だが、それよりも、昔夢をつないだこうした国々の厳しい現実が気にかかる。
ネパールはそうした情勢の中にあって、世界に平和を発信する国になれないのか。
しかし、そのネパールも今のところお先真っ暗だ。
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宮原巍

Author:宮原巍
ネパールに住んで45年。
1934年、長野県青木村出身。
1968年トランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年ヒマラヤ観光開発株式会社(東京)を設立。その後、ホテル・エベレスト・ビューとホテル・ヒマラヤ・カトマンズを建設。
長年ネパールの観光事業に携わり、ついにはネパールの国籍を取得。
著書に『ヒマラヤの灯火』(文藝春秋刊)、『還暦のエベレスト』(山と渓谷社刊)がある。

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