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2018-11

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心配の種

マオイスト派から11人の大臣が出ることになっていて5人は決まったが、その他の大臣も含めて未だ組閣は終わっていない。
野党に下ったネパール会議派を除いて、マオイスト派、統一共産党、そしてインド国境地帯のマデッシ派など401人の票を集めて新憲法を決めるということなのだが、そのため内閣に各党の代表を入れなければならないらしい。
だが、何でもかんでも新憲法が出来ればよいというものでもないように思えて仕方がない。

新憲法が共産党系の人々の意向でできることに私は危惧を抱く。
地方組織や諸団体の代表による全国民議会制といったことになれば、国民個々人の選挙はなくなり、それは民主化に逆行する集団的独裁体制になっていくということにもなりかねないからである。
もっとも選挙さえすれば良いというものでもないところにも問題がある。
不正や圧力のかかった民主的でない選挙が民主化の名のもとに大手を振ってあるき始めたらそれも始末が悪い。

共和制といっても、主権が国民全体にある民主政体であればよいのであるが、主権が軍人とか共産党一党といった特権階級政体や少数の人たちによってとって代わられる寡頭政体になった場合、国民は浮かばれない。
識字率がどうのこうのといった国で、また国民の政治的意識がもう一つといった国では、往々にして、政治はその後者に流れやすいと私は思っている。

ともかく、未練がましいが、私はネパールに共和制は似つかわしくもなければ良いとも思っていない。
ただ、ギャネンドラ前国王はちょっと除外して考え、その息子のパラス前皇太子ということになると、たとえセレモニー・キングとしても、ギャネンドラ前国王以上に「ハイそうです」といかないところに問題がある。
息子たちを甘やかした国王たちは子弟の教育に失敗したといわざるを得ない。
ネパールは折角の伝統を台無しにしてしまった。
ここら辺が私のジレンマである。
私がこうあってもらいたいと考えたことは、パラス前皇太子をとびこえて、彼の未だ8歳の息子に帝王学をしっかり学ばせ、将来、国の象徴的国王としその座に付け、王制を残して少しでも多くの国民のコンセンサスをとった国体にするということであった。

今、世界で住みよい国として上位15の国を挙げれば、そのうち10ヵ国位は何らかの形でモナーキー(君主制)を国名に付した国である。
日本だって立憲君主制である。
例えば、われわれにしても、日本の歴代の首相が国王のような存在になったとすれば抵抗があり、首相という立場で国政を行なうというところに納得する何かがある。
国家統合の一つの要因がそこらへんにもあると思うのである。
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プロフィール

宮原巍

Author:宮原巍
ネパールに住んで45年。
1934年、長野県青木村出身。
1968年トランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年ヒマラヤ観光開発株式会社(東京)を設立。その後、ホテル・エベレスト・ビューとホテル・ヒマラヤ・カトマンズを建設。
長年ネパールの観光事業に携わり、ついにはネパールの国籍を取得。
著書に『ヒマラヤの灯火』(文藝春秋刊)、『還暦のエベレスト』(山と渓谷社刊)がある。

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