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2018-11

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失われた20年

1990年の民主化以来、ネパールは失われた20年どころか、後退の20年と言いたい。
立て続けに行われた首相任命の議会、相変わらず何も決まらない。
12回目の日付と13回目の日付は決まった。
12回目もみないままに、13回目の日付が決まるというのもおかしな話である。
和平プロセスもマオイスト兵士の国軍組み入れの話もなんの進展はない。
最初から決めるつもりがないのだから当たり前といえば当たり前である。

3年前、マオイスト党首プラチャンダ氏と会ったとき、マオイスト兵士を、日本の援助によって、日本の自衛隊の設備部隊のように武器を持たない兵士として訓練をし、その上で国軍に組み入れる、という話をしたことがあった。
彼もそれに興味を見せたので、早速日本大使に相談した。にべもない返事が返ってきた。私では役不足であった。
もしあのとき、そうした援助がなされていれば、ネパールは変わったかもかも知れない。今にして残念に思う。

それにしてもアメリカに追従するような形でアフガニスタンの民生支援するとか、道路とか病院を造るとかいった数値目標を目的にしているような援助はやめた方がいいのではないだろうか。
上に述べたような援助で、日本の独自性を出すとか、その国の中枢の問題にふれて効果ある援助をするとか、もう少し援助について考えてもらいたい。

(ドン・キホーテ続き)

エベレストの見える場所にホテルを

家内工業局で仕事をはじめた翌々年、一九六八年(昭和四十三年)二月のこと。一度エベレストを見ておきたいと思い、数日間の休暇をとった。
ソ連から供与されたという、ネパール航空が管理しているヘリコプターを借りて、エベレストやローツェなどの高峰群のあるクンブー谷に行ってみることにした。
クンブーにはシェルパの人たちの本拠地ナムチェ・バザールがある。
(中略)
観光局のトラダハール局長は最初、宮原のホテル建設について、
「ホテルだったら、そんなところに造らないで、ポカラに造ったらどうか。その方がよいと思うが・・・」
と、親身になって助言してくれた。
ポカラはネパールきっての風光明媚の地である。宮原もビジネスだけを考えるのであれば、そうした方がよいことは分かっていた。しかし、宮原の動機は他のところにあった。
 
(将来、ネパールにくる人たちは、誰しもがエベレストを見たいと思うであろう。それに応えられる施設を造ろう)と。
エベレストとクンブーの山を見てしまった宮原は、いまや、その呪縛から解き放されそうになかった。そもそも宮原には、ホテルを造ってビジネスにしようという考えが、まったく欠落していた。
(このホテルは、ネパールの観光の目玉になる)
という宮原の説明に、局長は首をかしげながらも認可を出すことに奔走してくれたのだった。

大阪万博にネパール・パビリオンを

‘70年大阪万博のネパール・パビリオンのテーマは、「自然と平和」だ。
 一九六八年夏の終わりのある日、トランス・ヒマラヤン・ツアー社設立の手続きの合間に工業局の局長室に行くと、局長の大きな机の片隅に、大阪万博参加のための参考資料が数センチほどの厚みで積み重ねられていた。会社登記は、家内工業局と同じ省内に属する工業局が管轄していた。
宮原は、その書類に目をやり、局長に尋ねた。
「これは?」
「しばらく前、日本から前国連の大使という人が来て置いていった」
この当時、デリーの日本大使館がネパールの大使館も兼任するという形をとっていたらしかったが、まだネパールには日本の大使館はなかった。
「この博覧会にネパールは参加するのですか」
と宮原が聞くと、局長は
「昨年バンコックであった同様の催しに参加したが、何も評価できるようなものはなかった。参加は考えていない」
「ならこの資料は、私が持ち帰ってもよいですか?」
(中略)
さっそく、ことの次第を東京の同協会に連絡し、会談の段取りをお願いした。
案の定、日本・ネパール友好協会の答えは二つ返事で、全面的に協力する、そして、ぜひ参加するようにとすすめる旨の返事が返ってきた。
十一月、次官は帰国後、カトマンズで宮原にこう伝えた。
「大阪万博に参加するよう省内でも今検討中である。まだ決定ではないが、参加することになるであろう。君にも協力してほしい」
「それは良かった。日ネ協会が協力してくれればきっと良い結果になると思います」
こうした経緯でネパールは70年万博に参加した。           

次回に続く)
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宮原巍

Author:宮原巍
ネパールに住んで45年。
1934年、長野県青木村出身。
1968年トランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年ヒマラヤ観光開発株式会社(東京)を設立。その後、ホテル・エベレスト・ビューとホテル・ヒマラヤ・カトマンズを建設。
長年ネパールの観光事業に携わり、ついにはネパールの国籍を取得。
著書に『ヒマラヤの灯火』(文藝春秋刊)、『還暦のエベレスト』(山と渓谷社刊)がある。

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