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2018-11

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何も変わらないネパールの政治、そのⅤ

このタイトルは5回使った。次回はたとえそうであっても他の題名にしよう。
10回目首相任命議会も予想通り不発に終わった。あと数日で、一週間以上の休みが続くダサインの大祭である。
そして3週間後、また数日の休みが続くティハール祭りである。
何があっても進展はその後ということになる。
憲法制定を1年延ばしたが、そうすれば、半年は過ぎたことになる。
こちらは何の進展もない。
お手盛りで、また1年延ばすということもやりかねない。
まあそうなれば違った問題が起こる。頭の痛い話だ。

何で俺、ネパールのことで頭痛めなければならないのであろうか。これが私の自問自答である。
ネパールが混乱すると弊社ヒマラヤ観光の業績が落ちるからか、ネパールの良さが失われることによって、自分の人生を賭けた夢が壊れるからか、自分の政治活動がまだ中途半端なのに、なすすべもなく傍観せざるを得ないからか。
それは自分でもよく分からないが、まあ、それやかれやがごっちゃになっての感情であろう。

インド大使館の館員がカトマンズの外でマオイストに草履で殴られ、顔に墨を塗られたという事件が起きたらしい。インドの干渉に反対してのことだという。
こんなことをしていたらネパールは駄目だ。政治家たちだけが悪いわけではない。
あまりにも外の世界を知らなすぎる。これやあれやも、私はネパールへの外国援助が、この国の人たちを甘やかし駄目にしていると結論づけたい。

(ドン・キホーテ続き)

「ネパールの観光産業の振興につながるようなものを」
宮原が、そう考えて造ったのがホテル・エベレスト・ビューであり、カトマンズのホテル・ヒマラヤである。
日本とネパールで旅行会社とトレッキング会社も立ち上げた。
彼の生家は、信州の山奥の、部屋数十数室の小さな温泉旅館である。
その旅館は母が切り盛りし、父は終生、村の農業協同組合に勤めた。
宮原は、家業に反発こそはしないまでも、自分はそれとはまったく違った道を歩もうと考えていた。
それが、こうした経緯をへて、結局は、生家の家業と同じ道を進むことになった。
以前、村に帰ったとき、
「たかっしゃん、ネパールで旅館やってんだって?」(たかっしゃん)は、村での子供の頃からの呼び名である。

「まぁ そんなとこだわい。蛙の子は蛙です」
と答えた。以来四〇年、彼はネパールで観光の仕事を続けている。
ネパールでは、観光産業振興に貢献があったとして叙勲もされた。
確かに彼はネパール観光の草分けの一人だ。ネパール航空を日本に誘致したのも、トレッキング旅行を日本に持ち込んだのも宮原である。
大阪万博へのネパールの参加は、ネパールが広く一般の人たちにも知られる絶好の機会となった。
宮原はいう。
「ネパール語学校のバッタライさん、サイエンス・カレッジ校長のシュレスタさん、家内工業局々長のラケさんはじめ、後にシャンボチェ飛行場建設で政府予算から多額な補助金を出してくれた通商産業省次官のプラダハンさん、皆、なんと親切に私を受け入れてくれたことだろう。私のネパールでの活動の出発点は、こうしたネパールの人たちの親切さに支えられて始まった」
(ネパール以外の国では、こんなことはとてもあり得ない)と宮原は思っている。
それにしても宮原の行動は、一言でいえば、代償のないことにばかり熱中しているように見える。
登山にして然り。ネパールに住みついたこと。当時、陸の孤島ともいわれたヒマラヤ山中にホテルを造り、いまだに赤字で、悪戦苦闘しながら経営を続けていること、そしていま挑戦しているネパールの政治活動。
どれもこれも、一般の通念では理解しがたいことばかりである。
 六〇歳ではエベレスト登山に挑戦し、頂上直下五十メートルにまで迫った。
そこで目に高度障害が起り引き返しているが、これとても、宮原の行動の一端を如実に示している。
人はいう。
「ロマンの人」と。
だが、日本にいる娘さんは、
「お父さんもいい気なもんよね。そのしわ寄せ、みんなあたし達が背負っているんだものね」
と手厳しい。
宮原は、ネパールの生活が一段落し一度日本に帰ったとき、柿の木坂に住む伯母から、
「男は結婚して一人前よ、結婚しなさい」
と言われ、伯母の上田高女(染谷高校)で同窓であった人の娘さんと結婚した。そしてカトマンズで一緒に生活を始めたのであった。
しかし、彼女はすぐに重度の肝炎を患って日本に帰った。宮原の信州の生家に入って療養がてら、家業の旅館の手伝いをするなどして宮原とは別れわかれの生活となった。

(次回に続く)
次回からは章だてのタイトルと、所どころを抜粋するというかたちで紹介し、「ドン・キホーテ」は後10回ぐらいで終わらせたい。
この本は、11月10日頃、中央公論社から出版されることになりました。根深誠さんの本ですが、本が出たらよろしくお願いします。 
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宮原巍

Author:宮原巍
ネパールに住んで45年。
1934年、長野県青木村出身。
1968年トランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年ヒマラヤ観光開発株式会社(東京)を設立。その後、ホテル・エベレスト・ビューとホテル・ヒマラヤ・カトマンズを建設。
長年ネパールの観光事業に携わり、ついにはネパールの国籍を取得。
著書に『ヒマラヤの灯火』(文藝春秋刊)、『還暦のエベレスト』(山と渓谷社刊)がある。

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