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2018-12

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カトマンズは祭りが多い

今は都市の混雑が激しく、カトマンズの祭りは影が薄くなってしまったが、本来カトマンズは祭りが多い。
その中でも10月、11月のダセインとティハールの祭りは、盆と正月を一緒にしたような祭りで長い休みがつづく。
今年は少し遅れて10月の中旬からであるが、双方の休みを合わせると12日程になる。
今からすでに何かあっても「ダセインパッチ(ダセインの後)」ということで何ごとも先延ばしされる。
ネパールの新首相選びもそういうことになるのであろう。
これから11月中旬まで何ごともはかどらない。

このブログを立ち上げた頃、意気込んでネパールの政治のことを書いたが、そのあまりの代り映えのなさに最近はトーンダウンしてしまった。
ところで、明日から一週間、心臓のカテーテル検査とちょっとした手術のため入院することになった。
ブログも次週週末まで休みます。


(ドン・キホーテ続き)

ところで、宮原がネパールに住もうと決めた動機はすでに述べた。
その契機をつくってくれたのは、日本のマナスル登山隊に道を開いてくれた人で、その後日本へも来たことのあるクリシュナ・バハドゥール・バルマであった。
ムクト・ヒマール登山隊が、ポカラからカトマンズに帰って日本に発つ前、宮原はバルマに相談した。
「バルマさん、ネパールで、私が働けそうな場所ありますかね」
その頃、カトマンズの街はまだ自動車もほとんど走っておらず、裸足で歩いている人たちも沢山いた。
工場のようなものは何もなく、宮原が働けそうな場所はありそうにもなかった。
日本大使館がカトマンズに設置される六年前のことである。
バルマは、
「ネパールでねぇ。君はエンジニアだったけっか。ネパール政府に家内工業局というところがあるので、そこならどうだろうか」
「エンジニアというほどではないですが、まあ、そんな仕事をしています」
「ところで、何のエンジニア?」
「化学です」
「だったら、紙のこと分かりますか」
「プラスチック関係の会社にいたので、紙のことはわかりません。ただ、学校で勉強はしました」
何人かの級友は製紙工場に就職している。
 バルマに紹介された家内工業局を念頭において、宮原は日本へ帰ったのだった。
だが、自分にそこで働く適性と技能があるのか。
ネパールに来たいから来る、住みたいから住む、それだけであってはならないという思いがあった。
(自分はまだまだ未熟だ)、
英語力一つをとっても然り、社会に通用するものは何ひとつない。あるとすれば山で鍛えた体力くらいのものである。
(もっと勉強をしよう、もっと技術を身につけよう)
安易に事を運べば、終局もまた、それに見合ったものにしかならない。ネパールに住んで、人のために役立てるようになるにしても、それなりの知識と経験が必要だ。 
宮原は日本に帰って、一旦会社に復帰し、夜は機械工学の夜学に通った。一年後にその勤めていた化学関係の会社を辞めて、手に職をつけようと機械関係の会社に移った。化学ではつぶしがきかないと考えたからである。そして四年後、バルマの仲介を得て、ネパール政府の家内工業局と二年間の技術アドバイザー契約を結び、ネパールに移り住んだのだった。

(次回に続く)
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プロフィール

宮原巍

Author:宮原巍
ネパールに住んで45年。
1934年、長野県青木村出身。
1968年トランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年ヒマラヤ観光開発株式会社(東京)を設立。その後、ホテル・エベレスト・ビューとホテル・ヒマラヤ・カトマンズを建設。
長年ネパールの観光事業に携わり、ついにはネパールの国籍を取得。
著書に『ヒマラヤの灯火』(文藝春秋刊)、『還暦のエベレスト』(山と渓谷社刊)がある。

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