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2018-11

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ネパール政界の買収劇

マオイスト(毛派)党首プラチャンダを首相にするべく、マオイストによる買収劇が報じられている。
一つはマオイストが、そのための資金として中国のとある人物に5億ルピー(日本円で6億円)の用立てを依頼している電話の盗聴記録がインドの民間放送から流されたこと、もう一つはライバルでもある選挙に棄権を続けている統一共産党に5,000万ルピーを提供するからプラチャンダ支持を頼むと党に話があったと、統一共産党が暴露したというニュースである。
前者は、でっち上げの感もあるが、後者は実際にあったことのようだ。
これに関して毛派は沈黙しているが、ここらへんははっきりさせる説明責任がありそうだ。

こうしたニュースに見てとれることは、ネパールの政治がいかに堕落しているか、そしてダーティ・ゲームそのものであるということではないだろうか。

これを書いている最中、辻井清吾さんが来られた。
辻井さんは40年近く前から、ネパールに深くかかわってきたネパールシンパの一人である。
彼はネパールの政治の現状を、糸の切れた凧のようであり、要がとんだ扇のようだと表現されたが、確かにその通りだ。
6億円という金額、あの小国で、貧乏といわれている国でこれだ。
日本のロッキード事件のときだって、5億円であの騒ぎだった。
そうした国に真面目に援助していくことが果たして善なのか有益なことなのか。
私は悪であり無益であり害であると思っている。

国民は、次の選挙でも、またそうした政党に国民は票を入れる。
政治が悪いということは国民の政治意識が低いということである。
まだ識字率が問題にされる国にあっては仕方ないことなのか。
未だ首相が決まらず、この間そのための議会が7回開かれた。
選挙も5回ぐらいあった。
今の暫定内閣の首相は、出席者5名と限られた国連の会合に、20名連れていくといっていたが、これはさすがにキャンセルになった。
このままでは、ネパールの国は経済的にも破綻する。



(ドン・キホーテ続き)

カトマンズの日々

カトマンズでは、一九六二年の山登りのときに知り合ったゴパル・パント氏の尽力で、カトマンズに一つしかない「サイエンス・カレッジ」の学生寮に入居を許された。
そこで地方出身の十六、七歳の学生たちとの共同生活に入った。
彼らの教科書には、宮原が大学二年のころに学んだことのある微積分の方程式が載っていて、若い学生がその種の問題に解答を出していた。
インド系の人は頭がよく、数学を得意とする人が多いと聞いていたが、年齢にしては高度な数学に取り組んでいることに宮原は少々驚かされた。
彼らは、宮原がシャワーを浴びるとき裸になったのを見て、驚いた。
「おい、あのジャパニ、真っ裸だぜ」
一日で寮中の評判になってしまった。以後は、シャワーを浴びるときも下着のパンツはつけたまま体を洗う習慣をつけた。

「カトマンズ!」 海抜一三四〇メートル、二〇数キロ四方にわたってひらけたカトマンズ盆地は、その昔、文殊菩薩が刀剣で南側に連なる山の一角を切り開き、湖水を放出させてこの土地を出現させという伝説が語り伝えられている。
カトマンズの街は、四囲を取りまく山々から流れ込む幾筋かの川が寄り集まった盆地のほぼ中央にある。盆地の高みに立てば、北の空遠く、はるかに続く山並みのかなたに画然と浮かび上がる氷雪嶺、白く輝くヒマラヤの峰々が望まれる。
歴史をたどれば、四世紀にリッチャビ王朝が誕生し、その後、他の国の歴史とたがわず、幾つかの王朝の盛衰があった。そして、二四〇年前、今では最後の王朝となったシャハ王朝が、この地を拠点にネパールを統一したのであった。それぞれの王朝が、この地で栄えたのも、その肥沃な土地と地勢的に恵まれた天地自然の利を考えれば大きく肯ける。
 ネパールの文化を色濃く残すこの街は、一九七〇年代に入って、世界中の人たちからにわかに脚光を浴びた。
それは、すでに失われた文明を、人々はこの地にみたからかも知れない。
盆地には、ユネスコの世界遺産に登録された中世的な街並みが、カトマンズ、パタン、そしてバクタプールの三都市に保存されている。

(次回に続く)
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宮原巍

Author:宮原巍
ネパールに住んで45年。
1934年、長野県青木村出身。
1968年トランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年ヒマラヤ観光開発株式会社(東京)を設立。その後、ホテル・エベレスト・ビューとホテル・ヒマラヤ・カトマンズを建設。
長年ネパールの観光事業に携わり、ついにはネパールの国籍を取得。
著書に『ヒマラヤの灯火』(文藝春秋刊)、『還暦のエベレスト』(山と渓谷社刊)がある。

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