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2018-11

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停滞するネパールの政治

6月に首相が辞任して、その後一週間で決めるといっていた新首相はまだ決まらない。
これからダサインとかティハールといった日本のお盆と正月が一緒に来たようなお祭りのシーズンに入るので、首相が決まるのはその後になるという観測もある。
そんなことで、あと半年で憲法が果たしてできるのか。
憲法が出来ないままに、憲法制定議会が解散となると国情はまた大いに混乱することになる。

国民は、ここにきて政治の話をしなくなったらしい。諦めと呆れかえった気持ちで、みんな複雑な心境であろう。
しかしそれでも次の選挙ではまた同じ政党に、同じ政治家に票が行く。
残念なことに、私たち「ネパール国土開発党」は、まだその選択肢のうちに入らないらしい。
しかし、これからも主義主張はこつこつやっていきたい。
政治のことについて、今日はあまり書くことがない。

(ドン・キホーテ続き)

翌朝早く、宮原は自転車に寝袋と身の回り品を積んでいると、宿の主人が顔を出し、
「なに! お前さん自転車で行くのかね。それは止めたほうがいい」
「何で?」
「何でったって、途中虎が出るかもしれないぜ」
「ええ、本当?」
「本当さ、トラックに頼んで乗せていってもらいな」
 彼は、宮原が自転車で行くのをしきりに止めた。
途中に一万フィートの峠があり、自転車だと四日も五日かかるという。宮原はそれを聞いて心穏やかでなかったが、自動車道路があるのだから何とかなるだろうと思った。ここで、おいそれと予定を変更するのも抵抗があった。
「やっぱり自転車でいきます」
「だったら虎に喰われないようにな。ちょっと待て」
と言って、キッチンに入り、朝食の残りだといいつつ、チャパティ(薄焼きパン)と卵焼きを紙に包んでくれた。
「途中、茶店があるが、そこを出るときは必ず何がしかの食べ物を持って出な。山に入れば、水はどこにでもある」
 と、アドバイスしてくれた。
行く手にあるジャングルには、今も虎が棲息している。一昔前まで、ネパールの王侯貴族は、このジャンルで虎狩をするのがステータスでもあった。
日本から持参した書籍を詰め込んだ箱は、バスで行く加藤に頼んだ。
半ズボンにキャラバンシューズという出で立ちで、加藤より一足先に宿を出る。
町を離れると、穏やかな風景の田園地帯が広がっていた。
それが終わると濃い森林地帯に入り、道はその中を一直線北に向かっていた。
人通りはまったくない。時折、トラックが宮原を追い越していく。
道路をはさむ両側の樹木が道を覆うように茂っている。確かに虎が出そうだ。人影はさらにない。
ちなみに、「ジャングル」とは、ヒンディ語(インド語)がそのまま英語になった言葉だという。
現地ではジャンガルと発音している。
ネパールは、この南のジャングル地帯、北はヒマラヤに遮られ、独自の文化を育んできた。
昔、インドが英国の植民地であったころ、マラリアの巣窟ともいわれたこのジャングルが、英国軍のネパールへの侵攻を防いだ。
道は平らに見えるが、ほんのわずか登りになっている。
一時間ほどもかけ、そのジャングル地帯を抜けると、十数軒の草葺の家が散在する小さな村に出た。
ビルガンジから三時間、走りづくめできた。
そこから、少し急な上りとなりシワリークの小高い山の連なりを越え、一旦下ってヒタウダという、ブーゲンビリアが咲く山裾に開けた小さな町に着いた。
町を貫く道路の中央にある菩提樹の大木の下で小休止をとる。
涼しい風が頬を心地よくなぜた。
ヒタウダからは数キロ川沿いに進み、それから道は本格的な登りになる。
標高差二千メートルの九折りの登りである。
この道は、一九五四年にインド陸軍が建設したインドとカトマンズを結ぶ唯一の道路であった。
道はやたらに曲がりくねっていて、上りだというのに下りがあり、ときにはあらぬ方向に向かって走らなければならなかった。
 途中で、トラックが止まった。
「おい、若いの、乗っけてってやるぜ」
髭面の、頭にターバンを巻いた運転手が声をかけてくれた。
「有り難う。まぁ、のんびり行くので、またどこかで会いましょう」
「そうか、気をつけて来いや」
 あの頃、ネパールに入ってくるトラックの運転手は、頭にターバンを巻いたインドのシーク族の人が殆んどだった。
まだ、自動車がカトマンズに三百台という時代である。
その日は暗くなるまで走ってかなり行程をのばし、千メートルほど高度を上げ、道端の薄暗い茶店兼宿泊所のようなところに泊まった。

(次回に続く)
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宮原巍

Author:宮原巍
ネパールに住んで45年。
1934年、長野県青木村出身。
1968年トランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年ヒマラヤ観光開発株式会社(東京)を設立。その後、ホテル・エベレスト・ビューとホテル・ヒマラヤ・カトマンズを建設。
長年ネパールの観光事業に携わり、ついにはネパールの国籍を取得。
著書に『ヒマラヤの灯火』(文藝春秋刊)、『還暦のエベレスト』(山と渓谷社刊)がある。

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