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2018-11

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ネパールの政治に進展なし

サランコットの仕事で3日ばかりポカラに行っていた。
ポカラから帰るとカトマンズの街中の空気の悪さに驚かされる。
サランコットの丘は、まだ昔ながらのネパールの風情がたぶんに残っている。
モンスーン中であるが、昨日は新雪のアンナプルナ連峰が姿を見せた。
ポカラも自動車が多くなった。

政治は相変わらずで、進展も無く、みんなそれほど話題にしない。
首相は先の選挙で、今度こそは決まると思っていたがそうはいかなかった、8月18日の5回目の選挙で何とかしないと大変だと思うのだが、今朝の新聞では、統一共産党は投票に参加しないと出ていた。
インドからまた別な特使が来て調整に当たっている。
民不主義も大変である。


(ドン・キホーテ続き


   第二章 なぜネパールなのか



ネパールに住もうと決めた日


「自分に何ができるのか」

宮原とネパールのかかわりは、この問いかけから始まった。

昭和三十七年〈一九六二年)七月一日の夕方、宮原たち登山隊は、ネパール西部に聳えるムクト・ヒマール(標高六五五六㍍)の初登頂を終えて、三ヵ月ぶりにネパール中部の町ポカラに帰ってきた。
町なかは紫がかった夕餉の煙が立ち込め、子供たちは、その日一日を惜しむかのように、甲高い声を上げて遊び興じていた。
登山隊は町はずれまで来て天幕を張った。

「ああ、これで、あれ程に憧れていたヒマラヤの旅は終わったのだ」

天幕を張り終え荷物を片付けて、その日の仕事が一段落すると、宮原の胸中には旅の終りの哀感がひしひしと迫ってきた。

しかし、宮原はそうした思いを押しのけるようにして、そのときも一つの思いを懸命に考えようとしていた。
実は、登山を終え、帰路のキャラバンに入ってから、彼はずっと考え続けていたことがあった。
それは、

(再びネパールに来て、ネパールに住む)

と、いうことであった。

(貧しく恵まれない人たちの社会に入って、一緒に生きてみよう)

四ヵ月前、神戸を船で発ってカルカッタに上陸して以来、かの街の貧しい人たちが路上に寝起きしている凄まじい光景に端を発し、さらにネパール山村の人たちの厳しく恵まれない生活を見て、「何か自分に役立つことができないか」と考えたことからはじまった宮原の気持ちの行き着くところであった。

近くの石に腰を下ろして靴を脱ぎ休らいでいると、突然、石坂昭二郎隊長が声をかけてきた。

「おい宮原、お前、このところ黙りこくっているがどうかしたのか?」

宮原は、ハッとして立ち上がり、「いや何ともありません」と答えながら、少し思いつめたように、

「俺、また、ネパールに来ようと思うのです」

ゆっくりと、そして、自分の気持ちを確かめるように返事をした。
宮原はこの旅行の間に二十八歳になっていた。そして遅ればせながら、このとき、自分の人生に確たる決断をしようとしていたのだ。

「ネパールに来るって、まさかエベレストに行こうなんていうんじゃないだろうな」

「それはエベレストにも行きたいですけれど、登山じゃないです。チューレン・ヒマールに向かうとき、峠の雪解けを待って何日か滞在したダンガルジョンという村があったじゃないですか。ああした村で、村人と一緒になって水道を引くような仕事とか、学校の先生になるとか、ともかくネパールに住んで、少しでもこの国に役立つような仕事をしてみたいと思うのです」

「ずいぶん殊勝なこと言うじゃないか」

「今まで、人生を〈如何に生きるべきか〉などと考え生きてきたのですが、何時までもそんなことをいっている年じゃないと思うのです。これからはどう生きるか、それをネパールで実行してみたいと思います」

「出し抜けに、そんな真面目くさった話をされると、こっちは面食らうよ」

石坂隊長にとって、宮原のそうした考えは、それまでの宮原の生き方から推して、すぐには理解し難いことであった。

(次回に続く)

 

ポカラも、上の文のあの頃とはすっかり変わった。
あの頃がよかったのか、少しは近代化された今のほうがいいのか私には分からない。
あれから48年、人生の不思議さを思う。
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プロフィール

宮原巍

Author:宮原巍
ネパールに住んで45年。
1934年、長野県青木村出身。
1968年トランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年ヒマラヤ観光開発株式会社(東京)を設立。その後、ホテル・エベレスト・ビューとホテル・ヒマラヤ・カトマンズを建設。
長年ネパールの観光事業に携わり、ついにはネパールの国籍を取得。
著書に『ヒマラヤの灯火』(文藝春秋刊)、『還暦のエベレスト』(山と渓谷社刊)がある。

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