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2018-11

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ポカラに関連して

前回、ポカラの観光適地としての将来性について少し触れたが、その考えは、今に思ったことではなく、40数年前から思い続けてきたことである。
実は、私がネパールに住もうと決心した場所もポカラである。
それは1962年(昭和37年)、ムクト・ヒマール峰の登山を終えダウラギリ山塊を一周し、ポカラに帰ってきたときのことであった。
その後、 縁あって66 ~ 68年の2年間、ネパール政府工業省家内工業局に勤務したのであったが、そこで働いた結論は「ネパールは工業より観光だ」ということであった。
ポカラはその頃から念頭にあった。

ついでに触れたいのだが、そのとき持ったもう一つの考えは、カトマンズが50年後、100年後も首都であることは良くない。
南のタライ平原のほぼ中心地、チトワン(ナラヤニガーツ)に移すべきだということであった。
それは、たまたま工業局の製紙工場調査団に同行し、英国製のランドローバーで舗装もされていないガタガタ道を、川には橋は一つもなかったので河原を走り、カトマンズから丸2日かけてナラヤニガーツにたどり着いたときのことであった。
その時、大した根拠はなかったのだが、ここをネパールの首都にしたらという考えを持ったのであった。
家内工業局を辞するとき、それは私に課せられた仕事とは関係ないことであったが、総括レポートでこのことを強調した。

この二つのこと、すなわちポカラの観光・学術都市としての方向性とチトワンのへの首都移転が、私たち「ネパール国土開発党」の主張の根底となっている。
考えてみれば、このことを主張したくて政党を立ち上げたともいえる。
しつこいというべきか、あれから何も進歩していないというべきか、それはともかくとして人生ここまで来たら、できるできないはともかく、これからの残り人生もこのことを主張し続けたいと思っている。
まだ他にも考えられることは幾つかあるが、少なくもこの二つにはこだわりたい。
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プロフィール

宮原巍

Author:宮原巍
ネパールに住んで45年。
1934年、長野県青木村出身。
1968年トランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年ヒマラヤ観光開発株式会社(東京)を設立。その後、ホテル・エベレスト・ビューとホテル・ヒマラヤ・カトマンズを建設。
長年ネパールの観光事業に携わり、ついにはネパールの国籍を取得。
著書に『ヒマラヤの灯火』(文藝春秋刊)、『還暦のエベレスト』(山と渓谷社刊)がある。

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