2017-10

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人心の荒廃

「中世、洋の東西を問わず、飢饉や反乱など数多くの事件が起こっても、その頃政治家であった貴族は何の責任をとらず、庶民は牛馬のごとき存在ととらえ云々」という記述を読み、果たして今のネパールの政治は、それからどれほど進化したのかと思わざるを得なかった。
ネパーの政治家は「国民のために」と二言目には言うが,それは国民をダシにして自分を正統化しようとしているだけのように思える。日本の政治も悪というが、ネパールの政治の悪さはその比ではない。2006年の国体を変えたデモ、2008年制憲議会選挙、それから今日まで、ネパール変革の効果は何も出ていない。ただ行き当たりばったりの政治と政争を繰り返すだけである。あの頃、草履ばきであったマオイストの何人かは、今では立派な家を立て、パジェロを乗り回す身分である。

私は思った。セレモニー・キングとして王制を残し、国家統一のシンボルとして国を発展させようではないかと言っている人たちは、少なくも国を憂え思っている人たちで、やれ連邦制だ、訳も分からず民主主義だ、を唱えている人たちは自分の利益を追求しようとしている人たちだと。そんなことを思わせるのがネパールの現状である。

人心の荒廃、川喜多二郎先生が、このネパールの現状を知ったらさぞかし心を痛めるであろう。先生は、すでに20年近く前に次のような文章を書いておられる。

  今ふりかえってみると、1953年のネパールは、何とのんびり牧歌的だったのだ
ろう。王政復古で百年の将軍独裁政治を倒したといって、一見政治的に波瀾の時代
であったに違いあるまい。それなのに、初めての日本人を珍しげに見、親切にもて
なしてくれたネパール盆地の紳士淑女は、なんとソフトな伝統文化の柔らかさに包
まれていたことだろう。
 首都のこの盆地以外に出ると、更にもっと、ずっと素朴な人情風俗があった。私は
見知らぬヒマラヤの山奥を数ヵ月旅しながら、物騒だと不安に感じた事は殆どない。

 ところでそれから約30年経ったら、私の知るあるネパール人は、次のように嘆い
たのである。
 「川喜多さん、この国はもうあなたの知っているネパールじゃありません」
 人情風俗が荒廃したという。どちらを向いても金、金、金ばかりしか頭にない。儲
かりさえすれば何でもやる。お役人は汚職ばかり、子供たちは親を馬鹿にし・・

考えさせられるところが多い。
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コメント

人材育成しかないのでは

明治維新で権力を奪取した若者たちは、直後の明治4年には大挙して欧米を歴訪し、国家の骨格をどう構築するかを真剣に学びました。
少し回り道になっても、ネパールは人づくりが第一ではないでしょうか。そのためには、日本はODAやNPOの援助で形だけが見える成果を追及するよりも、志ある若者を真剣な目をもって探しだし、日本に連れてきて教育し、スケールの大きい志士を一人でも多く育てあげることを最優先すべきではないでしょうか。
志をもった若者が立ち上がらないかぎりネパールは変わらないと思います。

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まとめ【人心の荒廃】

「中世、洋の東西を問わず、飢饉や反乱など数多くの事件が起こっても、その頃政治家であった貴族は何の責

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プロフィール

宮原巍

Author:宮原巍
ネパールに住んで45年。
1934年、長野県青木村出身。
1968年トランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年ヒマラヤ観光開発株式会社(東京)を設立。その後、ホテル・エベレスト・ビューとホテル・ヒマラヤ・カトマンズを建設。
長年ネパールの観光事業に携わり、ついにはネパールの国籍を取得。
著書に『ヒマラヤの灯火』(文藝春秋刊)、『還暦のエベレスト』(山と渓谷社刊)がある。

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