2011-06

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ネパールはどうなる

どうにもならないのがネパールの政治のように見える。
三大政党の三つ巴ということなのだろうか。
前にも書いたように、20年前の、1990年の民主化のあと政権を担ったネパール会議派は汚職政治、権力志向をあからさまにする毛派、ネパール会議派についたり毛派についたりで、双方の間を渡り歩く無節操な統一共産党、だがそれらに共通して言えることは、国を納め、発展させていくという政策が皆無であるということである。
もうイデオロギー闘争はやめてもらいたい。

私は20年前の民主化は認めるが、今回の民主化騒ぎは疑似民主化と言いたい。
国王を退位に追い込んだ2006年4月のデモを、あの頃、外国やメディアは、民衆の蜂起とか国王の専制政治を終焉させたとか、いかにも民衆が勝ち取った民主化のように言っていたが、実は権力闘争の何ものでもなかったということも言いたい。
そのことが、今証明されているように思う。

そのときのデモに先立つこと1年、国王が非常事態宣言をして2年間の直接統治に踏み切ったとき、まだ毛派は非合法で、ネパール会議派と統一共産党は国王反対デモを何回か繰り返した。
たが、国民はそれを政党指導者が復権を狙ってのことだと感じとっていて、ほとんどそのデモに参加しなかった。
デモに参加したのは、政党に動員され、日当をもらった限られた人々であった。
それを如何にも民衆が蜂起し、治安が乱れているように報道する朝日新聞に、私は抗議したことがあった。

「デモはそれほど民衆の支持を得たものでなく、一部地域で行われているだけで、そちらの報道は必ずしも実態の沿ったものではない。それに旅行客が来なくなる」
「われわれは、あんたがた旅行社のために報道を控えるようなことはしない」
と、逆ねじをくらった。

ついでに言えば、結果を見た2006年4月のデモは、ネパール会議派と統一共産党は手詰まりとなり、暴力で力をつけた毛派を巻き込み共闘した結果であり、その時も、どちらかといえば知識層が多いカトマンズ市民はほとんど誰も参加していなかった。
毛派が駆り集めた、そう言っては悪いのだが、扇動された烏合の衆のような人たちによってなされたのである。
あれから5年、王様が退位した以外は何もなされていない。

もう何回も書いたネパールの現状は、民主化というより権力闘争の結果であると言うことができはしまいか。
このままではどうにもならない。
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プロフィール

宮原巍

Author:宮原巍
ネパールに住んで45年。
1934年、長野県青木村出身。
1968年トランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年ヒマラヤ観光開発株式会社(東京)を設立。その後、ホテル・エベレスト・ビューとホテル・ヒマラヤ・カトマンズを建設。
長年ネパールの観光事業に携わり、ついにはネパールの国籍を取得。
著書に『ヒマラヤの灯火』(文藝春秋刊)、『還暦のエベレスト』(山と渓谷社刊)がある。

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