2017-05

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あゝ無情

ヒマラヤ観光にとっては、お客さんが4分の1に減って大変、私にとってはポカラの仕事が立ち往生しそう、ネパールにとってはインドの経済封鎖で問題は山積み。
燃料はなくクッキングのガスもなく、ガソリンは1週間か10日に一度、2日も長い列に並んでようやく15リットル得られるといった状況。
カトマンズの街なかでも人々は薪で食事を作るといった状態、しかし、火を燃やす場所がない人たちは大変である。

インドもインドだ。
経済封鎖はネパールの新憲法が気に食わないといって採っている措置である。
インドの下心は、インドに隣接する長さ800キロメートルの国境地帯を半分に分け、東西に長く2つの州にさせてインドの影響力を強めようということにある、ように思える。
水利権だとかにも影響が出るし、そんなことをしたら、上の山地の人たちは大変である。
ちょっとスイッチをひねられたら上は干上がってしまう。

大体ネパールは余計なことをしたというのが私の言いたいことである。
10数年前マオイストが出てきて、民族別州政府を14州つくるとか吹聴して、暴力と脅しでのし上がってきた。
それをアメリカのノー天気としか言いようがないカーター大統領や、ノルウエーなどの平和の使者をかたる国が、民主化のランドマークなどと持ち上げたものだから始末が悪い。
日本のメディアもそうだった。
王制イコール悪という図式である。
それを日本の大きな新聞社が大袈裟に取り扱うので、実態はそうでないと申し上げたら、「私たちはあなた方旅行社の都合で報道しているのではない」と外報部次長とかいう人に逆ねじを食らった。

王政はやはり具合が悪いにしても、王制を残し、国家統合の象徴にしてもらいたかった。
現に今日はタライの人たちの祭りとかで、ネパールは休みである。
民族別にそんなことをしていたら休みだらけである。
一人の王様がいなくなった代わりに王様だらけである。

以前会ったマオイストの若者との会話
「私たちは王制を廃止し、ネパールを連邦共和国にし、新憲法を作るために闘ってきた闘志である。ネパールにとってダイアモンドのような貴重な存在である」(若者)
「その3つって、本当はしない方がよかったことじゃないの?」(私)
それはともかく、その付けが今まわってきたように思えてならない。

その国にはその国に合った政治形態(民主主義)があってよいと思う。
それにインドも覇権主義は止めて、ネパールがヨーロッパの国々の中のスイスのようになったら、その方が将来インドにとっても利するといったように考えられないものだろうか。
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新憲法ができた。だが・・・

2ヵ月前ブログ再開し、数回続けたがまた一ヵ月以上休んでしまった。
その間に、ネパールではいろいろなことがあった。
先ず挙げられるのは、7年越しに一か月ほど前、新憲法ができたことである。
その時点でいろいろ書こうと思っていたのであったが、ポカラの山の上にいて書きそびれた。
ところで新憲法が出来たのはいいが、それが今波紋を起こしている。

 当初、憲法で決められた連邦制にしようとする州分けに、先ず西ネパールのインドと国境を接する地帯で、それに反対する暴動があり、警察署が襲われ数人の警官が群衆に押し切られ撲殺される事件があった。
警官に罪はないのに、そこらへんは納得ができない。
その後、警察官と民衆との間で発砲事件もあり20数人の犠牲者が出た。
ビルガンジ(カトマンズから南に下ったインドとの国境の街)など、いくつかの都市で戒厳令が引かれる騒ぎに発展した。
それを口実にインドは経済制裁をかけ、もう3週間になるのにガソリンなど燃料の供給を止めた。

 実はインドがネパール国境地帯を東西に長く二つの州にして、ネパールに対するインドの影響力を強めようとしていた節も噂ではあった。
それが今度はあからさまになった。
今度の新憲法では、必ずしもインドが望むようにはなっていない。
それがインドには不満というわけである。
それに加えて、10年前、マオイストが暴力闘争(私はあえて武力闘争という言葉は使いたくない)を続けていた頃、民衆に向かって民族別州政府をつくるなどといって、それを闘争の口実に使っていたため、今ネパールではその意識が高まってしまって、国が一つになるどころか、バラバらになってしまいそうである。

 地震は大変ではあったが、私はこちらの方が根が深く、大変だと思う。
最初マオイストは主な民族別に14州にするのだと言っていたが、さすがにそれはなく、新憲法では7州に落ち着いた。
それにしても、各州に州政府をつくるにしても、そのための庁舎、議会、裁判所、警察機構、その他諸々の施設と組織をつくっていかなければならない。
今ネパールの政治を牛耳っている政治家たちは、地図の上で線引きしただけで、それ以外の実際的なことは何も考えていないように思える。
それは大変なことで、ネパールの現状では、ほとんど実現しそうもないように思える。

 ポカラのホテル、3ヵ月ぶりに工事再開したのであるが、インド国境地帯は麻痺し、燃料やその他の資材も手に入らず、またまた工事は中止の憂き目に遭っている。
日本では想像できないことばかりである。
それにしても、来年の今頃にはホテルを完成しなければならない。
金もない、時間もないという厳しい日が続く。

3度目の、ああカトマンズ

8月9日カトマンズに舞い戻った。
今回日本の滞在が一ヵ月半と長かったので、多少里心がつき、ネパールに来るにあたって多少の抵抗感があった。
案の定、ネパールに来てがっかりすることが多い。
毎度のことであり何度も書くようであるが、先ず空港の汚さと無統制な混雑ぶりに何とかならないかと思った。
香港はまあまあ、そしてダッカは30年前に戻った感じだ。
そしてカトマンズ、何をかいわんやである。
その落差は激しい。

政治的なことでは、着いた翌日の新聞で4大政党が合意した州分けのプランが出された。
こんな州分けをして、国をどうやって発展に導くというのであろうか。
それが私の最初に受けた印象であり疑問であった。
数は6州になった。それはよいとしよう。でもその区分はやはり民族別を基本したものとなっている。
西寄りの地方で政府案に反対したデモがあった。警官が発砲して3人が犠牲になった。
これって一体何だ。
政府って国民を守るためにあるのではないのか。
国民を迫害するためにあるためではないはずだ。
全体のコンセンサスをとるのは難しいことは分かる。
かといって程度というものがある。

今の政府は、国民のための民主化ではなかったのか。
こう簡単に銃を使う例は王制のときにはなかった。やり切れない気持である。
大体にしてその一端を担っているマオイストは、そうした国民の底辺の人たちの味方ではなかったのか。
権力の座についたら、その人たちのことはすっかり忘れ,権力とお金思考に走っている。
14,000人の人々を殺してきて、それはないだろう。
これって大きな裏切りではないのか。
それを民主化と呼んだのは誰なのか。
日本を含めた世界のメディアとアメリカのカーターなどという方向音痴の男だ。

大体国連はこの国で何をしているのか。
最近はやることがないので、もっぱら人権がどうのこうのと言っている。
街中を、大型のランドクルーザに無線用のアンテナを装備し「ハイ、こちら100号車、周囲に異常なし」なんてやっているのではないのか。
今の若い人たちには分からないかもしれないが、私の子供の頃は戦争ゴッコというものがあった。
私はUNと大書きした国連の立派な大型ランドクルーザ-を街中で見るたびに、子供の頃の戦争ゴッコを思い出す。

ところで、カトマンズの識者がテレビのインタビューで、今回の州分けは、政党間の妥協の産物であり、将来必ず問題が起きると話していた。
私も同感である。
ネタ(政党のトップのこと)たちは一体何を考えているのか私には判らない。
あえて推測すれば、国の将来のことなどは誰も考えておらず、自分のことばかりである、ということである。
そうでなければ、あんな州分けの発想は出てこない。
ネパールでは国のために政党があるのではなく、政党のために国があるのである。
カトマンズに着いて、気の重たい日が続く。

再び、ああネパール

机上で書くことと、実際とはなかなか一致しない。
拙著『ヒマラヤにホテルを三つ』―ネパールの開発ヴィジョンを語る―で書いたことも、書いてみたはいいものの、だからそれがどうしたと言われれば、それまでである。
 
ネパールは世界の中でも特異性を持つ国だと思っているが、50年前、ネパールもバンコックも、シンガポールも、国の水準のようなものにそれほど開きのあるようには思えなかった。
しかし今はすっかり違った。
国が経済的に発展すれば、それでよいということにはならないが、それにしてもネパールは旧態依然としている。
インドだって20~30年前から、外国からの援助を断って自立の道を歩いた。

今度の地震でも、緊急な支援は受けるとしても、復旧は外国頼みである。
やればできると思うのにそれをしない。
自立のないところに真の国の発展はない、というのが私の持論であるが、これも本に書くのは易しい。
しかし、そうするにはどうすればよいかということになると、私は無力である。
それを叫んでみたところで実効性はない。
これが今の私の心境である。

ポカラの計画も、いろいろな困難に見舞われている。
数日後、ネパールに行くのであるが、心の中は複雑である。
なんとしてもやり遂げなければならない。
今年の雨期は今頃になって雨が多いようであるが、全般的には雨は少なかったようである。
異常気象と地球温暖化で、ヒマラヤの雪が少なくなっていくのがさみしい。

ここ2~3のブログは日本で書いたが、ネパールに行ったら、もう少し詳しい状況をお伝えできると思っている。
チェンジ!、チェンジ!とオバマさんが言ったが、それは実感する。
もう一つの言葉は、we can であったであろうか。そんな希望をもってネパールに行きたい。

ああ、カトマンズ!

地震の犠牲になった人々は、約8,000人と言われている。
謹んでお悔やみ申し上げます。
そうした状況の中で、報道が少し大げさであったと言えば顰蹙を買うが、カトマンズとかその他の地域では、一般の建物とかインフラは正直いってそんなに被害は受けていない。
報道は被害にあった所だけを大きく報道するので、すごく大変だという印象を与える。

ネパールに5県、75郡あるが、そのうち地震の影響を受けたのは8郡であり、その他の地域ではほとんど影響はなく、幹線道路も空港も被害はない。
被害を受けた8郡は、前のブログにも書いたが、ゴルカからランタン谷を経て右に、カトマンズ盆地北東方向の山地。
山村、そしてロールワリン、ソロクンブー地域へのベルト状の地帯である。
カトマンズ盆地内でも、もちろん被害があったが、昔からの建造物である世界遺産8ヵ所中、崩壊など大きくダメージを受けたのは、2ヶ所である。
ホテル、レストランはほとんど、地震前と変わらず営業中である。

ああ、政治は麻痺し地震を口実に、新憲法制定の話はどこかに行ってしまった。
やることがちぐはぐと言うべきか、すべての面において、ネパール政府のやることは目に見えてこない。
今回の地震で、いち早く動いたのは軍隊であった。
政府は何をやっているのかという不満があった。
遅ればせながら動き出したが、国民の不満は募った。
日本だったら危機管理ができていないと、大変な騒ぎになるところである。

どうしてそうなのか?
すべての面において、責任者が責任を取ってどうのこうのということはほとんどない。
たまに世論の突き上げがあっても、当事者は馬耳東風である。
そして、復旧に9,000億ルピー必要だとか途方もないことを言いだす。
日本円にすれば1兆円を超える。
前回のブログに書いたことでもあるが、桁が二つ多い。それでも多いくらいだ。
やりきれない気持ちがする。

その国が立派だということは、国民が、あるいは政府が他の国の人たちから尊敬されるということではないだろうか、というように思う。
確かにネパールの人たちはフレンドリーで、親しみやすく優れた国民性をもっている。
ここら辺のことを、日本とネパールの友好関係を築いた先駆者、川喜多二郎教授(東工大、文化人類学者、京都大学学士山岳会、1953年の日本のマナスル登山隊に学術班隊員として参加)の文章を引用させてもらいながら、私の最近出した本に書かせてもらった。

何と言おうか、今はああ、ネパールとしか言いようがない気持ちである。

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プロフィール

宮原巍

Author:宮原巍
ネパールに住んで45年。
1934年、長野県青木村出身。
1968年トランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年ヒマラヤ観光開発株式会社(東京)を設立。その後、ホテル・エベレスト・ビューとホテル・ヒマラヤ・カトマンズを建設。
長年ネパールの観光事業に携わり、ついにはネパールの国籍を取得。
著書に『ヒマラヤの灯火』(文藝春秋刊)、『還暦のエベレスト』(山と渓谷社刊)がある。

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